ここっちライフ

風水と片づけでスッキリライフ

今までの生活が突然・・・

約6分

今までお話したことがなかった家族のことをお話しします。
私みたいな経験をしていて、辛いと感じてる人がこのブログを読んで少しでも気持ちが軽くなってくれればと思います。

家族のこと

実は私の夫、現在「要介護5」全介助なんです

2017年、娘の結婚式が終わって一週間後に突然倒れました。
運ばれた病院で「二日間がヤマです」言われ、何が何だかわからない状態でした。
本来なら泊まることができない手術の時に使う家族控室に待機。
今思えば、本当に危ない状態だったんだと思います。

なんとかヤマは超えたものの、気管切開をしたため話すことができません。とりあえず瞬きで意思表示はしてくれたので、こちらの話していることは分かっているようでひと安心することができました。

しかし、集中治療室から一般病棟に移ったときに感じたのは
「目は開いてるけど目が見えてない?」
「でも、一時的なのかも…」

そんな不安が後日、主治医からの説明で手足の麻痺と目が見えおらず回復も見込めないだろうとの説明。
はっきり言って絶望的な言葉でした。

しかし、少しずつでもリハビリが始まり、リハビリを重ねることでほんの少し右手でなんとかバイバイができるようになりました。
出来る様になるまでに約3か月かかりました。

入院から3か月、病状も少しずつ落ち着いた頃、回復期の病院か施設へ移らなければならないと言う事で、少しでも可能性があるのならと、リハビリのある回復期リハビリテーション病院を希望しました。

しかし、症状が重いため受け入れてくれる病院がなかなか見つからず、そんな中一つの病院から受け入れ可能の返事があり、連絡があった病院へ急いで話を聞きに行きました。

リハビリ病院ではどんな事をするかいろいろ説明を受け、年明けに転院することになりました。

転院当日は、私の実家の母が手伝ってくれました。(今もいろいろ手伝ってくれます、感謝)

転院、目が見えてない主人は家族以上に不安だったと思います。
看護師さんの声掛けのおかげでその不安も徐々に減ったように感じられました。

リハビリの様子もたまに見ることがあったのですが、動かない体を動かす事はとても見るのが辛い状態で、私がいると甘えが出るのでなるべくリハビリの時間は避けて病院へ行くようにしました。

でも時間がたまたま重なった時は、柱の影から隠れて見てました(子どもがはじめて幼稚園に行った様子を見る感じ)

しかし、順調にリハビリも進んできたかなと思うと調子が悪くなり、救急で運ばれた時の病院へ再入院を何度か繰り返しました。

そのおかげでと言ったらおかしいのですが、リハビリの病院に長く居ることで、食事も経口食になり会話もできるようになりました。

脳梗塞になるとよく話すことが出来ず家族も意思疎通に困ると聞きますが、主人は幸い話す事には何も後遺症がなく、しっかり受け答えができたので看護師さんとも冗談を言ったり、昭和歌謡を歌ったりしていました。

そんな姿を見ると大きな病気をすると性格が変わると聞いたことを思い出し、元気な時の主人は必要以上に話したりしない人「職場でコミニケーション取れてるのか」と子供と話すほどだったので、私も子供達もビックリびっくりでした。

職場の人がお見舞いに来てくれたら、ずーっと仕事の話するし、今まで見た事のない主人の姿を見ることができました。

ある程度症状が安定してきたら公的機関にいろんな手続きに行くように指示され、仕事の休みの日はとにかくいろんな手続きに動きまわりました。

私の前職(市役所勤務)の職場に一市民としていくという不思議な気持ちでしたが、行く先々で知り合いがいるとすごく心強かったです。

リハビリ病院のおかげで右手の動きはだいぶスムーズに動くようになり、経口食になりご飯をおにぎりにしてもらい右手に持って食べれるようになりました。
あとは、足の力をもう少し強化のリハビリまでになったころ、次の施設を探すか在宅か決めないといけないという時期が近づいてきました。

次の施設を探すのも悪戦苦闘。

悪戦苦闘した施設探しに

今回は、リハビリテーション病院を退院後在宅での介護か施設入所にするかの選択が迫るなか、リハビリテーション病院を退院する日が決まりました。

ここからが一番大変でした。
はっきり言って泣きました。

何が大変って、その頃はまだ私もフルタイムで働いていたので、在宅と言っても全介助の夫をひとり家に残す事はできないので、施設を利用しながらと考えましたが、利用出来そうな施設に片っ端から電話を掛けて事前にアポを取って話を聞きに行く、まるで営業活動でした。

しかし、電話のアポ取りの段階で泣きそうになるぐらい、ケチョンケチョンに言う施設もあり心折れました。

でも、めげてる場合じゃないといろいろ話をしに行きましたが良い返事は帰ってきませんでした。

「絶対、大丈夫」と言ってくれていた施設でさえも「受け入れできません」との連絡があった時は「お先真っ暗、途方に暮れる」とはこのことかと思いました。

多分いろいろ回ったと思いますが、今受け入れてくれている施設にどうたどりついたか覚えていないほどです。
ただ、今お世話になってる施設が一番話を聞いてくれ、親身になってくれていろんなアドバイスもしてくれて、涙が出そうになったことしか覚えてません。

そんなこんなで、なんとか今利用している施設に受け入れてもらえると決まりました。
週末は自宅に帰る予定で、介助リフトや介助ベットの設置と慌ただしく日々は過ぎていきました。

これと並行して公的機関の手続きにも何度か足を運ぶことになりましたが、こちらは順調に手続きは完了できました。
よく前職の時、窓口に来られた方が手続きの不満を言っていたことを、私は不満は言いませんでしたが、身をもって体験する事になるとは思いませんでした。

そしてリハビリ病院を退院する日が来ました。

ほんと少しでも手足が動かせるようになり、口から食事ができるようになったのは、ここでのリハビリのおかげで感謝しかありません。

次の施設は老健施設、少しでもリハビリを続けることができるので頑張ってほしい気持ちでいっぱいです。

今の施設に移ってから、新型コロナウイルなどで帰宅できない時期もありました。
今は週末自宅に帰宅し、なんとか穏やかに過ごしています。

私自身、週末自宅介護するにはちゃんと勉強をしようと思い「介護職員初任者研修」を受け、自宅では私が主人のヘルパーさんをしています。
ほかに、自粛期間にZOOMで「介護環境整理アドバイザー」の勉強もしました。

そんな介護についていろいろ勉強をしたことを少しづつこれから発信できたらと思います。
今まで主人に関わってくださった沢山の方々への感謝を忘れず、これからも頑張っていきます。

最後に

老々介護での手続きの負担は大変です。
はたまた親の手続きでも、働いている子供や遠方に住んでいるとか、それぞれの事情でも大変です。

介護は終わりが見えません、不安になることやへこむこともあるでしょう。
そんな時は誰かに話を聞いてもらうのが一番です。
私も相談すことができる人が周りにいたからこそここまでやってこれたんだと思います。
何か介護のことや在宅介護のこと介護環境でお悩みの方、お話聞きますよ。

50代からの快適lifeアドバイザー|春風ほの香

2021年12月、初の著者を出版しました。

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